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エストニア外務省が定期的に発行しているESTINIAN REVIEWの4月18日から5月2日版が発表され、
今回の銅像移転問題に関しての動向が克明に記されている。軍人墓地に移されたソ連兵士の銅像が
緑の中に立っている写真も載っている。
Nashiと呼ばれる右翼の青年たちに囲まれていたモスクワのエストニア大使館も開放され、通常の業務に戻った。
在ロシア・エストニア大使は休暇のため2週間の休みに入った。これは先週から予定されていた休暇が延期になっていた
もので、今回の事件とは関係はないと外務省は発表している。
タリン市内はロシア系住民も含め、静けさを取り戻し、いつものタリン市に戻っている。警察官は普段より多く往来しているものの
安全に観光できるとして、観光庁からメッセージが流れている。
エストニア外務省発行ESTONIA REVIEWを見る。
メッセージを見る。 5月10日現在通常のメッセージに戻っています。
スウェーデン:
イルヴィス大統領の言葉と駐露スウェーデン大使、モスクワのエストニア大使館前で襲撃など
Turkish Weeklyを見る。
フィンランド:
ロシアを像の国、エストニアをねずみの国として表現
International Herald Tribuneを見る。
英国:
不器用な外交を展開したエストニアと指摘、でもロシアの卑劣さと同盟国のスローな支援体制には同情?
Economist.comを見る。
エストニア:
写真投稿サイト
Pressifotoを見る。
エストニア:
欧州議会会議でのUrmas Paet外務大臣演説・続くロシアの攻撃をやんわり非難
エストニア外務省ホームページを見る。
5月8日、終戦記念日。エストニア政府は先の暴動による経済的、政治的、倫理的被害を査定し続けているが、アンシップ首相はじめ、
各大臣、外国大使などが軍人墓地に移された渦中のソ連兵士の銅像に花輪を捧げた。バルト三国の首相が旧ソ連の兵士の像に献花を
するのはこれまでに例がない。大きな傷を受けたアンシップ政府だが、5月8日をナチスドイツ軍打倒の日とすることでロシア系住民
との関係修復の助けになることを願う意思表示したものと見られる。Nikolai Uspenskyロシア大使はこの儀式には参列しなかった。
同日イルヴィス大統領、アンシップ首相、エルグマ国会議長は戦争で失った人々の霊を悼み、多くの人々にとって第二次世界大戦の
終結は圧制政府からの開放を意味し、またその他の多くの人々にとってその後の暴政の始まりを意味しているが、そこから歴史を学
ばずして街頭で教えられた。エストニアは自由と民主社会がいかに大切さか身にしみて理解している。エストニア市民の知恵と理性
が国を守る。エストニアはヨーロッパであり、エストニアに住む人々は共通の未来を持っている、と和解の呼びかけの共同声明を発表した。
5月7日には和解の一つの手段としてロシア系住民代表40名と会い、銅像移転の経緯を説明、対話の必要性を認めた上で、エストニアの
法律を遵守するよう求めている。また、エストニア、ロシア両国におけるロシア語メディアの間違った報道など、偏りがあることを
指摘、客観性のあるロシア語情報の必要性の声も上がり、放送審議会に新しい委員が承認された。
エストニア外務省の共同声明を見る。
暴動が終息して3週間。被害を受けたタリン市内の店舗はには未だ修理が進んでいないところもあるが、
店員たちは落ち着きを取り戻し、通常と変わらぬ営業を続けている。
Wikipedia(英語版)に暴動に関する記事が掲載され、更新を続けている。
Wikipedia(英語版)を見る。