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2006年3月14日

エストニア前大統領レンナルト・メリ氏死去

前大統領レンナルト・メリ氏(在任1992-2001)はここ数年脳腫瘍を患っていたが、
3月14日午前3時40分、タリン市のMagdalene病院にて息を引き取った。76歳だった。

メリ氏は1929年3月29日タリン市にて、芸術的で外交的な家庭に生まれた。父親は
シェークスピア翻訳者で子供の教育には熱心だったため、早い時期より国外で学校
生活を送った。1940年のソ連侵攻時タリンにいた一家は、翌年他のバルト三国の多
くの人々と共にシベリアへ抑留される。当時12歳のメリ氏はきこりやジャガイモ剥
き、いかだの船頭などの仕事をしていた。

Gulag(旧ソ連強制労働収容所)からエストニアに戻ることができたメリ氏は、1953
年にタルト大学でクム・ラウディ、優等生の称号を授与して卒業する。しかしソ連
政府はメリ氏が歴史学者になることを許さなかったためVenemuine劇場の俳優となり、
その後ラジオ劇のプロデューサーとなっていくが、1958年、中央アジア天山やカラコ
ルム砂漠のイスラム圏を旅行したことをきっかけに、最初の本を発表、執筆業で生活
をしのぐようになる。当時父親は3度目の旧ソ連当局による拘束にあっていたため、
勉学をあきらめタクシーの運転手をしていた弟とともに母親を支えていた。

以後25年にわたり、荒廃したソ連の地のたびを通して、少数民族の文化の魅力やシベ
リア植民地化の歴史、確実に進み行くモスクワと地方の格差に関心を抱くようになり、
鉄のカーテンを突き破る書物や映像作品を次々と発表する。

1986年、メリ氏はヘルシンキ大学の名誉博士号を授与され、エストニア作家協会の会
員、フィンランド文学ソサエティの名誉会員にもなる。独立闘争の最中、メリ氏は人
民戦線のリーダーEdgar Savisaarに外務大臣に指名され、これがエストニア初の非共
産主義選挙につながっていく。

メリ氏の最初の仕事は外務省を立ち上げ、勉学に熱心な若者を多く起用し西側との接
点を<確立することだった。同時に国際会議ではエストニア共和国の代表としての役目
を務めた。在フィンランドエストニア大使を短期間務めた後大統領に就任、その後1992
年から2001年まで二期歴任した。
妻Helli Meri、2男1女。前妻Reginaは1989年カナダに移住した。

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